« なんじゃもんじゃの木 | トップページ | 4月の花壇 »

2012/05/01

元寇防塁

1203_seinan01
先日、元寇防塁を訪れたが、
防塁の一つは西南学院大学校内にあり、

1203_seinan02
それは西南学院大学1号館内にある。(曜日限定で一般公開されている)
  

1203_seinan03
ここから入ると・・・
  

1203_borui10
元寇防塁(げんこうぼうるい)
20キロも石築地を築くのは大変だっただろうなぁ~。
  

1203_borui11
1号館新築時に遺構の一部が検出された為に、
ここへ復元移築して保存されている。
(中庭のような感じで保存されていた)

<参考>
遺跡元寇防塁
 

1203_borui12
  

1203_borui20
もう一つの元寇防塁は体育館横にあり、元寇防塁の碑と・・・
  
  

1203_borui21
新しくなった元寇神社 の祠がある。
  

1203_borui22

1203_borui23
<元寇防塁について>
1274年の鎌倉時代に元が博多湾へ攻め込んだ為、
北条時宗が九州各地の御家人に命じて
元の再来襲に備え西の今津~東は香椎までの
博多湾の沿岸を約20㎞に石築地の元寇防塁(げんこうぼうるい)
を半年間で築かせて警備させたもの。(高さは2.5m~3mある)


1281年に元軍は東路軍(とうろぐん)「兵4万人・軍船900艘」と
江南軍(こうなんぐん)「兵10万人・軍船3500艘」の二手に分かれて
日本に攻めてきた。(弘安の役)
詳細はこちらのサイトで→→ 弘安の役とその後
 

1203_l_borui24
  <画像クリックで拡大>
 
元寇防塁を訪れたのは、もちろんCM一人でだが、
西南学院大学キャンパスで学生達にすれ違うと、
女子学生達が軽く会釈してくれたのが印象的だった・・・
西南大はCMが好きな大学の一つだが、
更に好印象を抱いてしまった!(笑)coldsweats01

元寇防塁の殆どは砂浜の砂の底に埋まっているが、
海岸を歩いても感慨深いものがある・・・

« なんじゃもんじゃの木 | トップページ | 4月の花壇 »

お出掛け」カテゴリの記事

コメント

元寇防塁は小学校だったかな?
教科書に写真が載っていましたね。
下から3番目の写真だったかなと懐かしく思い出しました。
その昔、このようなものを作るのは大変だったと思いますが、これで防げたかというと・・・
原発の津波のように元寇も越えてきたんじゃないかしら。
もし台風が来なかったら日本は中国の属国になっていたかも・・・なんて想像してしまいました(>_<)

clipセージ55さん

2.5m~3mぐらいの高さで築かれていたそうなので、
簡単には乗り越えられなかったと思いますが、
更に元軍が長船旅で士気を無くしていたそうですよ。
それにしても14万の兵が攻めて来るのは恐怖だった
でしょうね~sad

元寇防塁とは蒙古襲来に備えて作った防護柵ですか
万里の長城の小型版なんですね
一部とは言え、こうして現物が見られるのは良いこと
ですね
14万の兵が攻め入る姿は想像するだけでも
ぞっとしますgawk
東日本を襲った津波のように・・・・wave

元寇…って…
うんうん、確かに習ったわぁ~~って感じですが
お城の石垣などでもそうですが
「機械なんてなかったんだよなぁ~」
なんて、目の前にすると
思っちゃいますよねhappy01

clipよしべえさん

>万里の長城の小型版なんですね
そうですね~ ミニ万里の長城のようですね!(笑)happy01
元寇防塁の殆どが砂に埋もれて眠っているようですが、
当時、築くのは大変だったでしょうねぇ~

clipmewさん

元寇防塁は、当然人手で築いたでしょうから、
想像する以上に大変だっただろうと思いますね~
現代だと重機がありますけどね・・・happy01

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/405664/45088786

この記事へのトラックバック一覧です: 元寇防塁:

« なんじゃもんじゃの木 | トップページ | 4月の花壇 »

2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
フォト

チョコミント宛てのメール

最近のトラックバック

無料ブログはココログ